kamome-1991

生きることを問い続けるすべての同志たちに捧ぐ

神の父性を体現する

私たちは神ご自身と全く同じ父性を与えられており、故に私たちと神を区別することは、理論的にはできても、体験的には不可能です。

 

まるで記憶喪失の野球選手が、実際にボールを手にしてグランドでプレイする中で過去を思い出していくように、

私たちは赦すことによってそのことを思い出します。

 

神の父性を体現することは、実相を思い出すためのアプローチとして最も有効な手段だと思います。

 

なぜなら、私たちの本性が行うであろうことをそのまま行うからです。

 

形態の模倣は、その内容についての理解を促します。

 

つまり、親になれば私たちは例外なく親の気持ちを理解するのと似ています。

 

自分の態度次第で私たちは立場の違いを経験するのですから、自分が完全な愛の態度を選ぶことによって、その立場から見えるものがはっきりと見え、また、そこから得られる経験さえも変化するのです。

 

私たちは人生を変えようとしているのではなく、人生でどのような経験をするのかを変えようとしています。

 

人生自体を変えたところで、それは流れる雲の形を変えて満足しようとするようなものです。

 

より快適になるかもしれないが、それは私たちにより偉大な人生をもたらすわけではない。

 

 

神の父性を体現することは、私たちの人生経験を非常に大きく変化させるでしょう。

 

苦しみから喜びへ

 

怖れから愛へ

 

怒りから思いやりへ

 

貧しさから豊かさへ