kamome-1991

生きることを問い続けるすべての同志たちに捧ぐ

生きるために食べよ

タイトルは、古代ギリシアの哲学者ソクラテスの言葉と言われています。

 

そしてさらにこのように言っています。

 

「食べるために生きるな」

 

せんべいをバリバリやりながら書いている今、まったく耳が痛い限りです。

 

私は過去に一時期、1日1食を実践していまして、空腹の状態が自分にとってどれだけの健康と生活の質の向上とをもたらしてくれるかを体感しました。

 

と同時に、いかに私たちの常識的食生活が、人々の心身の健康を損なうものかについても痛感しました。

 

結局ストレスで食べてしまって1日2食の食生活になりましたが、それでも3食食べていた頃に比べると、食べ物という呪縛からいくらか自由になっています。 

 

「生きるために食べよ。食べるために生きるな」

 

この言葉は、私たちにとって食べ物がどのような位置づけにあるのかをはっきりと思い出させてくれます。

 

肉体の安全と快楽のために人生のあらゆる資源を使うことが、普通は当たり前のこととされていますが、そのはびこった常識に大きなつぶてを投げ込むのがこの言葉のように思います。

 

衣、食、住は体のための三原則です。

 

しかし人は、心のための原則については特に考えずにいるようです。

 

考える必要がないのでしょうか?

 

私にはそうは思えません。

 

本来道徳がその役割を果たすべきなのですが、機能不全を起こしていることは言うまでもありません。

 

なぜなら道徳を用いる私たち人間が、機能不全を起こしていながら、そのことに全く気づいていないからです。

 

だから、生きるために食べよ、という言葉にはっとさせられるのです。