kamome-1991

生きることを問い続けるすべての同志たちに捧ぐ

ここにいるのは、神とあなただけだ

わたしたちは、いろいろ順調で勢いがいいときは物事をあまり深く考えないものです。

 

何か思わぬ不幸があったり、思い通りにならないことがあったりして落ち込んだとき、わたしたちは、それを人や環境のせいにするか、“何かがおかしい”と自分の態度を考えるものです。

 

 何かがおかしい原因は、実際環境にあるのかもしれません。

 

しかし問題とは、その前に期待するから生じるものです。そもそも期待しなければ期待はずれ=問題=ストレスとはなりません。

 

はじめに期待するから結果に対して評価できるというものです。

 

よろこぶことは良いことですが、反対に憂うことの可能性も含んでいます。

 

場合によっては、それは怒りや、殺意ともなってわたしたちの心身を脅かします。

 

ところでこの評価は、対象を正しく認識することがありません。

 

自分にとってそれがどのようなものなのか、という目線でしかみることができないのです。

 

だからたとえば瞑想では、自分の頭のなかに浮かんでくる様々な想念(これは過去に価値判断したもののフラッシュバックのようなものです)を通り過ぎるがままにして、その向う側にあるものに気付けるような心の状態に移ろうとするのです。

 

ではその向こうがわ、何があるのでしょう。

 

当然、真理があります。

 

偽りのものを取り払ったのですから。

 

真理は美しいものです。

 

それは命そのものであり、みなさんと一体の宇宙です。

 

ということは、わたしたちは普段から、いろいろな景色やそれぞれ異なった人格たちという世界を通して、毎日、毎秒、毎瞬、真理と相対しているのです。

 

すでにお亡くなりになられていますが、押田神父という方が居りまして、その方が以前、瞑想をしようとしたところ他の人が居たためにちがうところに場所を変えようとしたそうです。

 

そのとき

 

「ここにいるのは、神とあなただけだ!」

 

という、稲妻のような声をご自身の内に聞いたらしい。

 

 

わたしたちは、いつもこのような緊張感をもって他人に接したり、物事を扱ったりできているでしょうか。

 

 

真理は、見つけるものではなく、見出すものだということを、この頃ようやく分かってきたような気がしています。