kamome-1991

生きることを問い続けるすべての同志たちに捧ぐ

発達障害児への対応*全ての問題は罪悪感にある

昨日、ある子供が勉強が難しいといって癇癪を起こしました。

 

泣いて叫んで物に当たって、、

 

そう、発達障害です。

 

あまりにも支離滅裂な癇癪で、物にも当たるため、親としては怒りたくなるのも当然です。

 

発達障害の子供を持つ親の多くが、そのことに多大なストレスを抱え、また対応に苦労しているのは当たり前のことです。

 

ではなぜ物に当たるのか

 

物に当たる前の前段階として、思った通りに物事が進まないもどかしさがあります。

 

計画通りにできない自分に腹をたてるのです。

 

しかし自分に怒りの矛先を向け続けるのは自我としては苦痛なので、ここで自我は投影というトリックを用います。

 

つまり、自分の中の罪悪感を世界に投影し、自分の中から罪悪感を消し去ってしまうのです。

 

こうすると、悪いのはもはや自分ではなく、思い通りになってくれない世界の方が悪者になります。

 

罰するべきは、自分の要求にうまく答えられない世界の方になるのです。

 

だから、思ったことがイメージ通りにやることが難しい発達障害者は、他責の傾向が強い。

 

例えばアスペルガーは他責が著しいと、職業柄私は感じるのですが、それは、日常で受けるストレスがとても強いことの表れであると考えられます。

 

たとえばそれは、疲れきった人間が心に余裕がなくなるのと同じことです。

 

しかしこの投影というトリックは、日常で誰もが用いているものです。

 

なぜなら、投影が知覚を作り出すからです。

 

例えば定型発達と言われている私たちさえ、何か自分にとって不都合なことが起これば、それを容易に人のせいにするわけです。

 

分かりやすい例として、体が何らかの痛みにうずいている時、誰もが他者に対して攻撃的な傾向にあります。

 

 

だから癇癪が起こったとき、私が

 

「君は良い子だよ」と言ったら

 

「良い子なんかじゃない!」

 

という返事が帰ってきました。

 

とても分かりやすいですね。

 

ですが叱りつけるよりも何倍も早く、むしろ一瞬で彼は切り替えに向かうことができました。

 

 

もし発達障害のお子さんを持つ方がこれを実践したならば、またこの心の動きについて慎重に観察することができたらなば、子育てはもっと楽で楽しいものになるのかもしれません。

 

もちろん、子供を怒るということを知覚したということら、原因にあなた自身の罪悪感の投影があるわけですから、その点をまず、理解した方が早いことは確実です。