kamome-1991

生きることを問い続けるすべての同志たちに捧ぐ

家計防衛と欲のコントロール

今日気になる記事を読みました。

 

www.sekkachi.com

 

 

多くの家庭は中流かそれ以上を目指す傾向にあります。

 

なぜ目指すか。

 

それは平均かそれ以上の暮らしをしたいからです。

 

ではなぜそのような暮らしがしたいのか。

 

どことなく安心したいからです。

 

私たちヒトは、最低限の衣食住が満たされると、今度は欲が出てきます。

 

ペットを飼いたいとか

旅行

ちょっと周りに格好のつくいい車

こだわった食品

ブランドの服飾品

今よりも広い家

 

その他様々です。

 

しかし私は思うのです。

 

これらは本当に必要なものか、全て欲によるものではないか、と。

 

ここで、そもそも私たちが何のために生きているのかという問いかけに戻る必要があります。

 

安心を手に入れるために生きているなら本末転倒です。

 

というのも、生きていること自体が最大のリスクだからです。

 

ここで私はコースの述べることを信用しています。

 

つまり

私たちは、神に対する罪悪感があるからこそこの夢の世界を見ているのであり、その罪悪感を赦し、癒すために時間がある

 

というものです。

 

それを忠実に実行するならば、私たちには最低限の生活さえ営むことさえできればそれで十分ということになります。

 

きちんと労働を通して奉仕と自己研鑽にはげみつつ、へんな欲を出さず、出てきても退ければ、一般中流家庭が陥る家計の破綻などまず起こるわけがありません。

 

 

この記事を書いたのは、そんな生活をする中、ふと、MTのコンパクトカーが欲しくなってしまったから、半分そんな自分を説得する気持ちで書いています。

 

欲がなければ自己成長と人生の彩りに欠けるとお考えの人もいるでしょうが、何が足りないと思って覚える欲かによってその良し悪しが決まります。

 

物を求める人はそれを見出し、光を求める人もまたそれを見出すでしょう。

 

光を求める賢い人は、様々な形で私たちを説得しようとする欲を見抜き、そこから抜け出さなくてはなりません。

 

雲を逃れた月のように。