kamome-1991

生きることを問い続けるすべての同志たちに捧ぐ

神棚の効用②

昨日に引き続き、神棚の話題があります。

 

今回神様を我が家にお招きしたのは、ある意味家族が増えることも意味していると考えていました。

 

神様は人からの崇敬を受けて神となる。

 

また、神は人からのもてなしを喜ぶと言います。

 

ではもてなしとは何か?

 

それは一言で言えば、自分が大事にされていると思える待遇ということだと思います。

 

私にとって大事にするということは畏怖を伴うべきものではないと考えています。

 

私達に違った次元から導きをくれる存在たちに、特別な尊敬を持つことは自然なことですが、だからといってその存在たちに平伏したり何でも言うことを聞くような萎縮した態度をとるべきではないと思っています。

 

 

ということで、神様は私にとっては尊敬する特別な存在です。

 

神棚を設置した昨日の今日ということもありますが、数時間前に夕食に作った切り干し大根、自然栽培ほうれん草のおひたし、ししゃもをタッパーの蓋(今思うと不敬)に載せて神棚に上げました。

 

あまり置いておくわけにも行かないので1時間位してお下げして、自分が食べたところ、ほうれん草の味が殆ど無い。ししゃもも、切り干しも、どこか味が薄くなってまろやかになっている。。。

 

 

       神様が食べた、、、?

 

のかもしれません。

 

 

思い出しましたが、神棚を置いた昨日は春分の日

 

春分の日とは本来、皇室の祭事の日を表すおめでたい日だそうです。

 

良き日にお迎えできて、本当に良かったと思います。