kamome-1991

生きることを問い続けるすべての同志たちに捧ぐ

人生とは与えること

「人生とは何であるか」

 

この問は誰もが自分に問いかけるものです。

 

そして答えは、人生が私たちに何を要求してきているのかを率直に感じ取ることができれば分かります。

 

むしろ「人生」などと大げさなことを言わず、この瞬間に自分に何が求められているのかさえ分かれば、答えは自ずと出てくるはずです。

 

 

私たちの生まれと育ちは千差万別、性格も状況に対する反応の仕方もそれぞれです。

 

なので、建築家になるとか、営業マンになる(あんまりいないか)とか、自由に好きなことを仕事にして生きる(これは最近多い)とか、良い夫や妻で居たいとか、良き国民でありたいとか、具体的な理想についてはみなさん違って当然です。

 

しかしその有形の願望の内奥にある無形の願望は何であるのか、みなさんもきっと考えてみたことがあると思います。

 

私たちは有名になったり、金持ちになったり、自由に生きるために生きているわけではありません。

 

心を成熟させるために、具体的な課題をしてその中で学びます。

 

では何をして成熟しているというのか。

 

人生は学び、とよく言われていますが、では何を学ぶのでしょうか。

 

 

私たちの犯す間違いのすべてが、心の抱く恐れによって引き起こされます。

 

私たちが何かが足らないと思うとき、そこに満たされなければならないのは愛です。

 

つまり私たちは愛によって成熟し、恐れの克服によって成熟へと近づいていきます。

 

愛と徐々に一体となり、そして愛のあるところに恐れは存在することはできません。

 

心の中を光でいっぱいにすれば、外側に光の欠如(暗闇)を見ても、もう怖いと思うことはありません。

 

外に愛の無いものを見たならばそこに愛を与えさえすれば、つまり闇を光で照らしさえすればいいのです。

 

 

ということは、私たちのすることといえば、“(光、愛を)与えなさい”という要請に答え続けることに他ならないということです。

 

 与えることが、人生なのです。

  

与えるとき、最初に自分でそれを持っていなければなりませんが、まず与えることで、それを自分がすでに持っていたことに気づいたりするものです。

与えるのはモノではなく心だからです。

 

だから、与えたところで失うわけではない。

 

 

 

 自分が貧しい者だと思うならば、一生懸命与えましょう。