兄弟が居なければ
私たちは何かうまくいかないことがあると、自分の外側にある愛のない感情や、思慮に欠けた愚かな意思や決定によって自分の望んでいるものが手に入らないと考えます。
つまり他者のせいにしたがる傾向にあります。
私自身も例外ではなく、自分の人生に干渉できる位置に他人を置いておきたくないと思うことがあります。
こんなやつ居なければいいのに、といった感情のことですね。
ところが奇跡講座ではこのように教えています。
「あなたは自分の罪を兄弟の中に見ることを選んだが故に、自分が赦されるためには兄弟を赦さなければならない。赦しとは鍵であり、兄弟とは自由と解放への扉である」
奇跡講座の中では頻繁に、私たちにとってどれ程 ほど兄弟が必要な存在であるかを繰り返しています。
合わせて千ページを超える内容の中でその首尾一貫した教えには、私たちが最終的には抗うことのできない明瞭さがあります。
私はいま、一般の日本的な家庭観からすれば明らかに家事労働や仕事の役割の大部分を担っています。
今日も妻から
「いつもありがとう」
と言葉で労ってもらったのですが、コースの教えに則って考えるならば
「私はあなたたちなしで天国へ入ることはできない」
ということになりますし、
実際言われた時にそう思いました。
これは私が愛情深く寛大だからではなく、単純に事実だと思ったからそのように考えました。
だから皆さんも、自分が一方的に与える立場だったり、他人からの愛のない心を知覚した時には、そのように考えるといいかもしれません。
すぐにはそのことがわからないかもしれない
けれども、いずれはそれが真実であり
仮に百歩譲ってそれが真実であるかどうかは別としても
自分や他者の心を守る考えであることがはっきりとわかるでしょう。