kamome-1991

生きることを問い続けるすべての同志たちに捧ぐ

昨今の起業、副業ブームに一言 自由とは何か

おはようございます。

 

先程まで瞑想していましたが、やはり良いものですね。

心が玲瓏になります。

瞑想をするたびに、心が生まれたままの状態に戻ります。心の沐浴といったところでしょうか。

 

さて、この頃副業が流行っているようです。本業をしながら、その収入を補うことが主たる目的なのでしょう。私もその一人です。正社員で働く傍ら自然栽培を行い、それを販売しています。

 

副業をすることにより、まず良いことといえば収入が増えます。次に、個人のスキルが上がることで、結果的に本業でもその能力が活かされるでしょう。商売とは何か、など、否応なしに考えなければならない人も居るでしょう。

 

逆に悪いことといえば、本業のほうがないがしろにされるか、あるいは本業の会社の資源が盗まれる可能性がある、ということが第一に考えられます。また、仕事に割く時間が増えることで、家庭に関わる時間は減るかもしれません。

 

この他にも良いこと悪いことがありますが、そこが今回の着眼点ではありません。

 

起業開業することについてもそうですが、人はより自由な生活を欲しているという絶対的な傾向があります。

もっと自由に使えるお金や時間や自分らしいライフスタイルがほしいと思っています。

 

これはどういうことでしょうか。

なぜ自由を欲しているのかといえば、それは日常に不自由を感じているからです。

リスクは取らずに、もっと自分の思った通りに生きたいと思っています。

 

しかし私たちはここで、人がより一層不自由に拘束されつつあることに気づかなければなりません。

自由へ向かっているなど大嘘です。

好きなことをすることが自由なわけではありません。

自由とは未来に期待するものではなく、唯一今に味わうべきものです。

他者と比較して自分は彼よりはこれくらい自由だ、とか、彼は自由そうで羨ましい、といった風に自由の意味を誤解するべきではありません。

それは勝ち取られるものでもなければ、決まった数の中から取り合うものでもありません。

 

自由とは、“あるがまま”に繋がった状態のことです。

仏教で言えば、「観自在」の状態だと思います。

 

私たちは、今の自分に関連する関係性を調整し、不要なものを切り落とし、結果的により多くを身に着けさせることで自由へ到達しようと試みます。今回のテーマである起業、副業はここに当てはまるでしょう。

しかし本当の自由とは、徹底した集中の上に成り立つ観察と、その結果見出される心の平安によってのみ得られるものです。

 

努力して自由を手にいれた人たちのインタビューなどを、私たちは羨望の眼差しで見つめます。話す方も自信がとてもあるように見えます。

 

しかし自由とはぜんぜん違うところにあるのです!

自信が有りげな彼らも、それを見ている人たちと同様に、何らかの拘束の中に生きていることに変わりはない。希望的な比較の行為があってはじめて、彼らが自由に見えてしまうだけです。

 

この世界の何ものによっても左右されることのない心の平安と自由があるとすれば、あなたもそれを見出したいと思わないでしょうか。

そしてぜひ、自由と安らぎは感じなければ何の意味もないものだということに気づいていただいきたいと思います。

 

私はそれを味わって、一刻も早く自分のものにしてしまいたい。