kamome-1991

生きることを問い続けるすべての同志たちに捧ぐ

成功衝動は“反応”にすぎない

どうもこんにちは、そしてはじめまして。keiです。

 

私は成功というものについて、大きな疑問をいだきます。

 

まず、成功とはつまり何が達成された状態なのかを、まずは各々点検する必要があるでしょう。

 

試験に受かることを目標にしていたなら、それは成功と言えるでしょう。

物理的に裕福になることが社会的な憧れの的ですから、その状態になれば、人はそれを成功と言って羨むでしょう。

つまり成功とは、「自分がこの状態になれば、満たされるに違いない」という条件が達成された状態のことをさします。

 

そして気づいていただきたいのが、この条件には変わらぬ部分があります。

 

それは、条件の中心にある存在には常に何かしら欠けた部分があり、それを外側から補わなければ決して満足することはない。という考えです。

自分が変わる、という切り口から成功を目指すことも同じでしょう。なぜなら、自分は不完全だという前提があるからです。

 

しかし成功の条件が達成されたところで、自分には何かが欠けているということに変わりはない。

 

ならばそれが成功と言えるだろうか。

そこではあらたな欠落の物語が始まるだけであり、人々は延々と同じことを続けているだけに見える。

 

身につけているもの、所有している財産の大きさ、自身を取り巻く人間関係など、確かに違いは大きい。

しかしながら、中心に居る自分は満たされてはいない。

成功を指向するあらゆる心が、欠落を知覚したがゆえの反応によって行動する。

能動的にではなく、受動的にです。

これは創造的ではなく、反射的な動きとも言えるでしょう。

 

本当の創造性とは、わたしたちが概念や言語で捉えることのできない言わば解脱した状態の中で経験します。

唯一創造性を発揮する場面といえば、それはわたしたちが完全な愛の指揮下で動くときのみです。

これを具体的に説明できる人はいません。

しようとしても人々の勝手な思い違いを招くのがオチです。

分かる人には分かると思いますが、本当にわかっている人たちは総じて口をつぐむでしょう。

霊性とは元来、静かな湖面の下の深いところで、思いもよらぬ水流がゆっくりと力強く動いているようなものです。